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怖いもの見たさでやってみるバカは最強説

今回お伝えしたいことは、物事をチャンスととらえるかどうか?ということです。

この度、講習会で1時間ばかり話をする機会がありまして、

この講習会は、職場のリーダー的な方を指導するという講義でした

6社から派遣された講師がテーマ別に1時間講義するのですが。

私もその一人でした。

こういうの初めてで、すごく緊張しました。

その日が近づくにつれて、緊張で現実逃避したくなるわけです。

実際に講習の前日は現実逃避でいつも深夜まで起きているのですが、

「さっさと寝て忘れてしまおう」ということでさっさと寝て、当日もギリギリまで寝てました。

起きたくないのです。

こういう心理状態だと、

「なんで俺なんだとか」、「俺じゃねーだろ」とか・・・でるわでるわ愚痴

とある会社の講師の方と話したときに、「なんでlenonntobobuさんなんだ」みたいなことを言われたこともありまして・・・

実際に講師同士の打ち合わせで顔合わせした時に、作業服は俺だけでして、なんか他の講師からジロジロみられて、なんだこいつみたいに思われていたと思います。

その時履いていた作業ズボンは、確かにうさぎに齧られて穴が開いていたし。

階級的に俺じゃない仕事だったのですが、

あえてトライしたという感じです。

場合によっては、捻くれることだってできるわけです、

「俺じゃねーだろとか」、「なんで俺より役職があるやつら逃げてんのとか」・・・ですね、

こういって捻くれることもできるわけですが、

これをチャンスと思うかどうか?

ここが考え方だと思うのです。

もっと言えば理不尽なことをスキルアップと捉えるか、どうか?


よく愚痴ったりする人は、理想の未来を思い描いている方だとおもうのですが。

掴みたい未来は愚痴ってるだけでは、掴み取ることはできなし

愚痴によって未来が満たされることもないと思います。

何か掴みとるには、結局のところ行動するしかないわけです。

リスクをとるというか、

特にちょっと背伸びすればできそうなことは絶好の機会だとおもった方がよいわけです。

愚痴ってのは、行動しない口実を自分自身に言い聞かせて満足しているだけです。

半年後も一年後も10年後も同じことをずーっと愚痴っている人生というわけです。

俺はそんなの嫌だからね

今回の講師の仕事が絶好の機会だと思ったわけです

これをこなすと、自分自身の経験値になるし、職場では講演講師みたいなキーワードがつくので、ぜひトライするだけの価値があるとおもって。

自分自身にキーワードをいっぱいつけた方がよいから。

この報酬を掴み取るためには、緊張の中一時間話さないといけないわけで、

色々とよからぬ想像が頭をめぐるわけです、例えば

俺は緊張に本当に弱くてすぐ胃が痛くなるので

  • パニックで噛みまくる
  • みんな寝てしまったら
  • 注目してもらえない
  • 難しい質問

とかおもってしまうわけです。

この呪いをまず断ち切らないといけません。

そこで、2つほど常に考えていたことがあります

まず人間の性質的に、最悪を想定するという癖があるのです。

これは、

自己防衛メカニズムといって

最悪のシナリオを想定することは、一種の自己防衛メカニズムとして機能します。

最悪の事態を予想しておくことで、実際に問題が起きた時のショックや失望を和らげようとする心理が働きます。

最悪を想定することは

人体の仕組みなんですよ、

いってみれば、私たちは幻にいつも翻弄されて、本当はやりたいことにブレーキがかかっているわけです。

所詮それが今の能力値だという考え方

失敗しても成功しても

自分が発揮できた能力が今の自分の能力だと認めるしかないです。

この仕事を通らなければ成長はないと考えればもう諦めるしかありません。

やるの一択。

死刑台に上がるように、ただやるしかないのです。

ピンチはチャンスとはいいますが、このような試練は本当に辛いことがあります。

未来を変えたいと考えている人はたぶん一生安泰なんてないと感じます。

一難さって一難

たぶんその繰り返しでしょう。

それが成長や報酬の価値の本質ではないかと思いまして。

こんな感じで講習会を終えて

俺は大きな間違いをしていました。

世間一般的な立派にやり遂げるという認識は間違いで

いかにファンを作るのか?

を考えるのが正解でした。

自分の中での成功は噛まずに読むということだったのですが、緊張で噛みまくってしまったのですが、感じたことは、

  • 噛んでも良い
  • 自分の経験を伝える
  • 自信をもって話す
  • みんなに刺さらなくてもよい

自分というのを自己開示していくと割と聞いてくれます。

例えば、私が教科書の内容を読んでいても受講生はつまらなそうなのですが、自分の経験を語ると多くの方がこちらに注目してくれます。

重要なことは、立派な内容ではなくあなたの経験を聞きたいのではないかと思いました。

有益な情報とは、立派な文章ではなく、

  • 自分には経験したことがない未知の領域の話
  • 悩み解決の糸口の話

だったりするのでは?

それを軸に伝えていくと、噛みまくるやつだなと思われても結構応援してくださるものです

これとは反対に、立派なことばっかり言っていると、ただつまらん講習で終わるわけです。

そして自信なさそうに話すと応援されない

結局、難しいことではなく自分の経験を軸に言語化していくことでOKなのです。

これを繕って自分には無理な領域、ペラペラと饒舌に喋っても、多分だれにも刺さらないのだと思いました。

ありのままの自分でよいというのは、誰でも応援される領域をもっているからだと感じます。

そして万人に刺さる人間なんてありえないのです。

人生は一般的な常識みたいな、「呪いに翻弄されている」って痛感しました。

挑戦する、つまり心理的安全性から一歩踏み出す、これで悪いリターンはなし。

失敗してもそれが自分の実力。

成長したいなら、挑戦からは逃げられないようですね。

自分なんか・・・、とか思っていても、自分の個性で「うまくやるための領域」はある、という話でした。

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